3.11に思うこと
2018.03.11
画像は、2011年3月10日、右側が長女です。
2011年3月11日午後3時26分
その時、私達家族の運命の分かれ道が迫っていました。
今でも目をつぶれば、鮮明によみがえってくる映画の
ワンシーンのようなおぞましい光景・・・
目の前から迫りくる黒い波は、まるで悪魔の手が伸びてくるようで
電柱を倒し、砂煙といっしょに家が次々と崩れていきました。
「夢ならさめてくれ!」そう心の中で叫んでも
自分の目の前で起きていることを受け入れられませんでした。
「生きたい、生きたい、生きたい!こんなところで死んでたまるか」
当時4ケ月の娘を胸に抱き、急な竹やぶをよじ登り九死に一生を得ました。
幸いにも妻も後を必死によじ登ってきてくれていました。
あれから7年・・・
今日は、テレビを付ければほとんどの番組が「3.11特番」
津波が押し寄せる光景やその当時の光景が映し出されてきます。
正直、私は「見たくありません」今、こうしてこの文章を作っていても
手が思うように動かず、気分が悪いです。
そう、私はPTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断され、3年前から投薬によって治療を受けています。7年の時間が過ぎても、やまないこの思い・・・
こうして、気持ちを文章にしてみるとまだまだこの病気と闘い続けていかなければならないようです。
この不安を取り払うかのように、「夢を追いかける」ことにしがみついてきました。
それは、7年前のあの日からたくさんの方々に支援をいただいたこと、今でもその一人一人の方の顔が浮かんできます。泣いて電話をかけてくれた人、避難していた場所を見つけて伝えてくれた人。大好きなお酒を送ってくれた人。財布も持たず、無一文になっても着の身着のまま助かったこの私に「一生懸命生きる力」をくださいました。
あの時から、私は・・・
少しでも恩返しできたでしょうか。人間的に成長できたでしょうか。
自分が病になって気づいたことは、「人と人は心で繋がって、そこに真意がみえてくる」のだと思います。人はみんな同じではない、できない人に寄り添っていくことが慈善。
見捨てるのは偽善・・・だと感じます。
復興とは、なんでしょうか・・・
巨大なかさ上げ地を作ることや巨大な防潮堤を築くことでもなければ、新しい街づくりをすることでもなく、「人と人とがもう一度寄り添って生きることを再構築すること」ではないでしょうか。
今回、クラウドファンディングに初挑戦しました。
私は、礼儀や道理を重んじる古い人間です。
時代の流れに反しているのかもしれませんが、これが私の「生き方」
最後に、「無理が通れば道理が引っ込む」この言葉をかみしめて
私は、命燃え尽きるまで翻弄されないように生きていきたいと思います。