最後のお願い。
2018.07.30
この砂浜から、花火を見上げます。
昨日から広島、岡山の7月豪雨被災地へ足を運んできました。
三陸の津波被災地とも違う状況があり、きっと復興していくまで時間はかかるはずです。
どんな辛いことがあっても、悲しいことがあっても、日本人は花火をあげてきました。
東京を代表する隅田川の花火も、かつての大飢饉や疫病での死者を供養する意味合いから始まりました。
つまり、辛いことがあるからこそ、悲しいことがあるからこそ、花火に想いを託し、
人々が上を向く時間を作ったのです。
なんで花火をあげてきたのか、今ならわかる。
花火をあげることもそう、人々が上をむくこともそう、そして、その笑顔や涙を想像しながら前向きに進んできた人たちがいるから、花火はあがってきました。
夏になれば当たり前のように打ちあがる花火。
表現が難しいけど・・当たり前ではだめだけど、当たり前でなければいけない。
簡単ではないのだけれど、それでも毎年の夏の風物詩として、あがり続けなければいけない。
幼いころから、花火大会の景色があって、においがあって、身体にまとわりつく湿気があって、少し開放感ある夏の夜の記憶がある。
なぜだか火が怖くて直視できず、親の背中にしがみついて見た子どもの頃の花火とか、
花火よりも出店で売っていた光る剣をずっと見ていた少年の頃の花火とか、
なんとなく調子にのって始めて好きな人と見た思春期の花火とか、
花火が始まるころには酔っ払って何も覚えていないちょっと大人になってからの花火とか、
震災があってそれでも、やめてはいけない気がして、色々な人に迷惑かけながらなんとかあげた花火とか、
続けることに価値を感じて、自分も人の親になって、子どもたちに見せたい景色ができてからの花火とか、
それでも、花火は全て同じ花火です。ただ一瞬、すべての人が上を向く時間を作っているだけ。
だからこそ、その一瞬を生み出すことに関わるのは、素敵なことだと思っています。
クラウドファンディングは1口1000円から、たくさんの人の思い出をつなぐ「一瞬」をつくることに参加できます。
最後のお願いです。
あなたの大切な1000円を、この最高の「一瞬」を生み出すプロジェクトに託してください。
どうか一緒に、その一瞬をつくっていきたい。
最後まで、よろしくお願いします。