うのスタ「ラグビー神社」建立プロジェクト

by うのスタ・ラグビー神社建立プロジェクト

success!

うのスタ「ラグビー神社」建立プロジェクト

by うのスタ・ラグビー神社建立プロジェクト

「ラグビーのまち釜石」であり続けるために、ラグビー神社を丸の内から釜石に移設したい!

「4年に一度じゃない、一生に一度だ!」
センセーショナルなキャッチコピーとともに始まったラグビーワールドカップ。

日本代表が史上初となる決勝トーナメント進出を決めたことに加え、国や地域を代表する選手たちのプレーに日本中が歓喜し、声援を送り、そしてまた世界からも高く評価される大会となったことは記憶に新しいです。皆さんのお住いの地域の盛り上がりはいかがだったでしょうか?
開幕戦から決勝戦までの44日間、数々の名場面があり、喜怒哀楽があり、数えきれない物語が生まれました。それらはテレビや新聞といった主要メディアを始め、日本を訪れた外国人サポーターたちによって、SNSを通じて世界に発信されました。

「一生に一度じゃない、もう一度だ!」というセリフも生まれるなど、この大会を機にラグビー熱が高まったことを、個人的にも嬉しく思っています。釜石もたくさんのメディアに取り上げていただきました。釜石で開催されたワールドカップ。それはまさに「小さなまちの大きな挑戦」。私たちがラグビーとともにまちを復興させ、震災復興への感謝を伝えると誓った大会でした。それまでの過程と、これからのことを少しお話させてください。


真っ赤に燃えるジャージ。釜石が日本ラグビーの礎を築いた。

釜石は人口33,000人の小さなまちです。なぜワールドカップを行うことができたのでしょうか。それは、釜石が「ラグビーのまち」であるからに他なりません。

時は1984年。新日鉄釜石ラグビー部は、ラグビー日本一を決める「日本選手権」において、前人未到の7連覇を成し遂げます。当時のスポーツと言えばラグビー。当時ラグビーはお茶の間を盛り上げていました。この時のことを振り返って当時の監督兼主将だった松尾雄治さんは、「3連覇目くらいまでは(釜石の人は)あまり関心を持ってくれなかったけど、さすがに4回、5回と勝ち進むと、国立競技場が満員になって。大漁旗がはためいているのが嬉しくて。釜石での凱旋パレードとかも凄くて。」と振り返ります。当時はプロ選手はおらず、全員が仕事の後に練習をしていました。鉄作りを生業とする男たちが、弱いはずはありません。負け知らずのチームは「北の鉄人」として全国に認知されるようになり、同時に日本のラガーマンの憧れの地となったのです。真っ赤に燃えるジャージー。新日鉄ラグビー部は日本ラグビーの礎を築いたと言っても過言ではありません。





衰退してもクラブチームとしての存続を選択。そこに悲劇が襲う。

しかし、80年代に構造不況が始まり、89年に高炉が休止されたこともあいまって、しだいに新日鉄ラグビー部は衰退し、存続の危機に陥ります。それでも何とかチームを廃部させまいと市民や関係者が懸命の努力をし、2001年にクラブチーム「釜石シーウェイブスRFC」が発足しました。チームの再興を目指して試行錯誤のシーズンが続きます。

誰もが強い釜石の復活を夢見ていたとき、悲劇は突然やってきました。2011年3月11日、釜石は未曾有の大震災に見舞われます。沿岸部は壊滅的な被害を受け、釜石市全体では1,030名の方がお亡くなりになりました。目の前は瓦礫だらけ。誰もが復興への道筋が見えない中で、ラグビーの練習や試合など出来るのかという空気が流れます。





釜石でのラグビーワールドカップ、それは未来を切り開くための挑戦

シーウェイブスに所属していた選手たちは、一時練習をやめ、ボランティアに精を出しました。献身的に物資を運ぶ姿に、世界中のラガーマン、ラグビーファンからの支援やメッセージが届くことになります。そんな彼らにはしかし、どうかラグビーをやってまちを元気付けてほしいという声がかけられます。被災して疲れ切った多くの人たちが、ラグビーを渇望していました。6月にはヤマハ発動機ジュビロとの対戦が実現し、大敗しましたが、釜石にはやはりラグビーしかないと、誰もが思いを新たにしました。

その頃からでしょうか、「釜石にラグビーワールドカップを誘致しよう」という機運が生まれます。私は高校時代、ラグビー部に所属していました。激しいスポーツですが、One for All, All for one などとも言われるその素晴らしさも知っており、シーウェイブスの支援も長年続けていました。もしもワールドカップを誘致できたら、それは釜石だけでなく東北の復興の一助になると思いました。世界中へ感謝を伝える機会にもなります。そして何より、子どもたちの希望になると直感しました。子どもたちが将来、この出来事に胸を張れるよう。その願いを胸に、誘致活動にも参加し、2015年に開催都市として選定されてからも大会まで、一市民として大会をサポートしてきました。昨年夏のこけら落としを経て、今年はワールドカップ前にパシフィックネーションズカップを開催するなど、釜石は世界最高峰の試合運営とおもてなしをすべく、着実に準備を重ねてきました。




ワールドカップが残してくれたもの。レガシーへと繋げ

釜石でのワールドカップは、ご存知の通りです。9月25日には、格下のウルグアイが強豪国フィジーを破る番狂わせを演じ、観客を魅了しました。選手たちが泣いて喜ぶ姿には、私も思わず目頭が熱くなりました。試合終了後もスタンドの多くの人たちがなかなかその場を離れず、拍手を送り続けました。







もう一つの物語は、あの10月13日。夢にも思っていなかった、まさかの事態が発生しました。大型台風19号により、ナミビア対カナダの試合が中止になったのです。「またも自然の脅威の前に私たちの夢が砕かれるのか…。」道路は冠水し土砂崩れもあったので中止の判断は仕方ないと思いますが、その日の朝はやり切れなくて気持ちが沈みました。そんなとき、試合をするはずだったカナダ人選手たちが被災した家屋で泥かきのボランティアをやっているニュースを見ました。一番悔しいのは遥々ここまでやってきた彼らのはずなのに… 「ああ、そうか、これがラグビーだった。」そこで気持ちを切り替えることができたように思います。




レガシーとは何かということが盛んに言われてきました。これに対する答えはたくさんあると思います。津波被災地のインフラ復旧が早く進んだこともレガシーでしょうし、この大会がもたらした希望、勇気、友情、自信といったものもレガシーです。
私自身は、ワールドカップが終わった今、何ができるのかと考え続けています。この大会を一過性のものとせず、釜石がラグビーを盛り上げ、ラグビーが釜石を盛り上げていくように、その取り組みを継続することが大切だと思っています。それは釜石のブランドであり、釜石のプライドでもあるからです。ラグビーを支え、ラグビーに支えられている、そういうまちだと思うのです。下の写真は、台風19号の影響でキャンセルになった2試合目(ナミビア対カナダ)のキックオフに合わせて、スタジアムを囲むように翻る大漁旗です。今釜石では、この対戦を再開しようという動きさえ出ています。だって、このままでは、悔しいですから。





神社の建立は、ラグビーの聖地KAMAISHIへの第一歩

釜石ラグビーのレガシーのために出来ることは、ラグビーを通じた交流を活発にすることです。年に一回は国際試合を開催したり、合宿を誘致したり、周辺地域の観光アクティビティを充実させたり。釜石を訪れた人がまた誰かを連れて来てくれる、こうした交流を作っていくことが、釜石のレガシーではないでしょうか?だから、やらなければいけないことはたくさんあります。もちろん自分たちだけでは出来ないから、多くのラグビーファンや仲間たちと協力しながら進めていきたいと思っています。

幸運なことに、この度、ラグビーワールドカップ日本大会で公式スポンサーを務めた三菱地所(株)様より、丸の内に期間限定で建立された「ラグビー神社」を寄贈していただく運びとなりました。ラグビーワールドカップの開催期間中、たくさんの人が必勝祈願に訪れた神社です。下の動画から「丸の内ラグビー神社」を見ることができます。

http://rugbyjinja.com/

この神社を鵜住居スタジアムに移設・建立すべく、行政や地主様にご協力いただながら計画を進めています。神事を含めて恒久的に管理していただく神社も、地元の鵜住居の方にお願いできることとなりました。来年4月には参拝ができるよう体制を整えて参ります。

どんな困難にも負けないラグビーの聖地として選手たちへの必勝祈願をするとともに、スタジアムでの滞在時間を楽しめる、そうしたエンタメ要素も盛り込んだ神社にしたいと思っています。

背後からしっかりスタジアムを見守るように建立します。(下の写真が予定地です。)



ただ、移設には費用がかかります。移送費用の見積もり総額は約300万円です。このうち半分は地元有志で集めようと思っており、残りの半分をこちらのクラウドファウンディングで集めたいと考えております。それは取りも直さず、釜石に住む人だけなく、釜石にゆかりのある人や、釜石ラグビーを応援してくださる人へもこの情報を届けたいからです。

釜石を訪れた人がラグビーワールドカップの痕跡を感じるとともに、世界中のラグビーファンが必勝祈願に訪れる場所となるよう、この神社建立プロジェクトにどうぞお力を貸してください!皆様のご支援をよろしくお願いいたします。





<ご協力いただいた資金の使い道>

⌘ ラグビー神社の移送費用(東京→釜石)
⌘ 神社建立のための地面工事(鉄板を張り重石を乗せる、簡易式屋根の設置)
⌘ 神事にかかる費用

総額で約300万円のところ、半分は地元で集め、残り半分をこちらのクラウドファウンディングで調達したいと思っております。

実行者について

うのスタ・ラグビー神社建立プロジェクト

中田義仁(なかた・よしひと)
1968年 釜石生まれ
1986年 岩手県立釜石南高等学校(現・釜石高校)卒業
1991年 東北薬科大学(現・東北医科薬科大学)卒業
1996年- ㈲中田薬局入社
2010年 同 代表取締役社長就任
釜石シーウェイブス常任理事兼スポーツファーマシスト、ラグビーワールドカップ(RWC)2019釜石誘致推進会会長、RWC2019釜石開催支援連絡会副会長を歴任したRWC2019釜石開催の立役者の一人。
釜石東ロータリークラブでは小学生タグラグビー交流会を企画運営し、第3回の2019年開催では小田原市とオーストラリアの小学生を含め130人が参加した。シーウェイブスマスコットキャラクター「なかぴー」の親でもある。
今回のプロジェクトの発起人。

プロジェクトが成立しました

協力金額合計
¥2,147,000
目標金額
¥1,500,000
143%
残り時間アイコン 残り
終了
協力者数アイコン 協力者数
231

プロジェクトが成立しました

2020年02月05日(水) 23:59にプロジェクトが成立しました。

「ラグビーのまち釜石」であり続けるために、ラグビー神社を丸の内から釜石に移設したい!

「4年に一度じゃない、一生に一度だ!」
センセーショナルなキャッチコピーとともに始まったラグビーワールドカップ。

日本代表が史上初となる決勝トーナメント進出を決めたことに加え、国や地域を代表する選手たちのプレーに日本中が歓喜し、声援を送り、そしてまた世界からも高く評価される大会となったことは記憶に新しいです。皆さんのお住いの地域の盛り上がりはいかがだったでしょうか?
開幕戦から決勝戦までの44日間、数々の名場面があり、喜怒哀楽があり、数えきれない物語が生まれました。それらはテレビや新聞といった主要メディアを始め、日本を訪れた外国人サポーターたちによって、SNSを通じて世界に発信されました。

「一生に一度じゃない、もう一度だ!」というセリフも生まれるなど、この大会を機にラグビー熱が高まったことを、個人的にも嬉しく思っています。釜石もたくさんのメディアに取り上げていただきました。釜石で開催されたワールドカップ。それはまさに「小さなまちの大きな挑戦」。私たちがラグビーとともにまちを復興させ、震災復興への感謝を伝えると誓った大会でした。それまでの過程と、これからのことを少しお話させてください。


真っ赤に燃えるジャージ。釜石が日本ラグビーの礎を築いた。

釜石は人口33,000人の小さなまちです。なぜワールドカップを行うことができたのでしょうか。それは、釜石が「ラグビーのまち」であるからに他なりません。

時は1984年。新日鉄釜石ラグビー部は、ラグビー日本一を決める「日本選手権」において、前人未到の7連覇を成し遂げます。当時のスポーツと言えばラグビー。当時ラグビーはお茶の間を盛り上げていました。この時のことを振り返って当時の監督兼主将だった松尾雄治さんは、「3連覇目くらいまでは(釜石の人は)あまり関心を持ってくれなかったけど、さすがに4回、5回と勝ち進むと、国立競技場が満員になって。大漁旗がはためいているのが嬉しくて。釜石での凱旋パレードとかも凄くて。」と振り返ります。当時はプロ選手はおらず、全員が仕事の後に練習をしていました。鉄作りを生業とする男たちが、弱いはずはありません。負け知らずのチームは「北の鉄人」として全国に認知されるようになり、同時に日本のラガーマンの憧れの地となったのです。真っ赤に燃えるジャージー。新日鉄ラグビー部は日本ラグビーの礎を築いたと言っても過言ではありません。





衰退してもクラブチームとしての存続を選択。そこに悲劇が襲う。

しかし、80年代に構造不況が始まり、89年に高炉が休止されたこともあいまって、しだいに新日鉄ラグビー部は衰退し、存続の危機に陥ります。それでも何とかチームを廃部させまいと市民や関係者が懸命の努力をし、2001年にクラブチーム「釜石シーウェイブスRFC」が発足しました。チームの再興を目指して試行錯誤のシーズンが続きます。

誰もが強い釜石の復活を夢見ていたとき、悲劇は突然やってきました。2011年3月11日、釜石は未曾有の大震災に見舞われます。沿岸部は壊滅的な被害を受け、釜石市全体では1,030名の方がお亡くなりになりました。目の前は瓦礫だらけ。誰もが復興への道筋が見えない中で、ラグビーの練習や試合など出来るのかという空気が流れます。





釜石でのラグビーワールドカップ、それは未来を切り開くための挑戦

シーウェイブスに所属していた選手たちは、一時練習をやめ、ボランティアに精を出しました。献身的に物資を運ぶ姿に、世界中のラガーマン、ラグビーファンからの支援やメッセージが届くことになります。そんな彼らにはしかし、どうかラグビーをやってまちを元気付けてほしいという声がかけられます。被災して疲れ切った多くの人たちが、ラグビーを渇望していました。6月にはヤマハ発動機ジュビロとの対戦が実現し、大敗しましたが、釜石にはやはりラグビーしかないと、誰もが思いを新たにしました。

その頃からでしょうか、「釜石にラグビーワールドカップを誘致しよう」という機運が生まれます。私は高校時代、ラグビー部に所属していました。激しいスポーツですが、One for All, All for one などとも言われるその素晴らしさも知っており、シーウェイブスの支援も長年続けていました。もしもワールドカップを誘致できたら、それは釜石だけでなく東北の復興の一助になると思いました。世界中へ感謝を伝える機会にもなります。そして何より、子どもたちの希望になると直感しました。子どもたちが将来、この出来事に胸を張れるよう。その願いを胸に、誘致活動にも参加し、2015年に開催都市として選定されてからも大会まで、一市民として大会をサポートしてきました。昨年夏のこけら落としを経て、今年はワールドカップ前にパシフィックネーションズカップを開催するなど、釜石は世界最高峰の試合運営とおもてなしをすべく、着実に準備を重ねてきました。




ワールドカップが残してくれたもの。レガシーへと繋げ

釜石でのワールドカップは、ご存知の通りです。9月25日には、格下のウルグアイが強豪国フィジーを破る番狂わせを演じ、観客を魅了しました。選手たちが泣いて喜ぶ姿には、私も思わず目頭が熱くなりました。試合終了後もスタンドの多くの人たちがなかなかその場を離れず、拍手を送り続けました。







もう一つの物語は、あの10月13日。夢にも思っていなかった、まさかの事態が発生しました。大型台風19号により、ナミビア対カナダの試合が中止になったのです。「またも自然の脅威の前に私たちの夢が砕かれるのか…。」道路は冠水し土砂崩れもあったので中止の判断は仕方ないと思いますが、その日の朝はやり切れなくて気持ちが沈みました。そんなとき、試合をするはずだったカナダ人選手たちが被災した家屋で泥かきのボランティアをやっているニュースを見ました。一番悔しいのは遥々ここまでやってきた彼らのはずなのに… 「ああ、そうか、これがラグビーだった。」そこで気持ちを切り替えることができたように思います。




レガシーとは何かということが盛んに言われてきました。これに対する答えはたくさんあると思います。津波被災地のインフラ復旧が早く進んだこともレガシーでしょうし、この大会がもたらした希望、勇気、友情、自信といったものもレガシーです。
私自身は、ワールドカップが終わった今、何ができるのかと考え続けています。この大会を一過性のものとせず、釜石がラグビーを盛り上げ、ラグビーが釜石を盛り上げていくように、その取り組みを継続することが大切だと思っています。それは釜石のブランドであり、釜石のプライドでもあるからです。ラグビーを支え、ラグビーに支えられている、そういうまちだと思うのです。下の写真は、台風19号の影響でキャンセルになった2試合目(ナミビア対カナダ)のキックオフに合わせて、スタジアムを囲むように翻る大漁旗です。今釜石では、この対戦を再開しようという動きさえ出ています。だって、このままでは、悔しいですから。





神社の建立は、ラグビーの聖地KAMAISHIへの第一歩

釜石ラグビーのレガシーのために出来ることは、ラグビーを通じた交流を活発にすることです。年に一回は国際試合を開催したり、合宿を誘致したり、周辺地域の観光アクティビティを充実させたり。釜石を訪れた人がまた誰かを連れて来てくれる、こうした交流を作っていくことが、釜石のレガシーではないでしょうか?だから、やらなければいけないことはたくさんあります。もちろん自分たちだけでは出来ないから、多くのラグビーファンや仲間たちと協力しながら進めていきたいと思っています。

幸運なことに、この度、ラグビーワールドカップ日本大会で公式スポンサーを務めた三菱地所(株)様より、丸の内に期間限定で建立された「ラグビー神社」を寄贈していただく運びとなりました。ラグビーワールドカップの開催期間中、たくさんの人が必勝祈願に訪れた神社です。下の動画から「丸の内ラグビー神社」を見ることができます。

http://rugbyjinja.com/

この神社を鵜住居スタジアムに移設・建立すべく、行政や地主様にご協力いただながら計画を進めています。神事を含めて恒久的に管理していただく神社も、地元の鵜住居の方にお願いできることとなりました。来年4月には参拝ができるよう体制を整えて参ります。

どんな困難にも負けないラグビーの聖地として選手たちへの必勝祈願をするとともに、スタジアムでの滞在時間を楽しめる、そうしたエンタメ要素も盛り込んだ神社にしたいと思っています。

背後からしっかりスタジアムを見守るように建立します。(下の写真が予定地です。)



ただ、移設には費用がかかります。移送費用の見積もり総額は約300万円です。このうち半分は地元有志で集めようと思っており、残りの半分をこちらのクラウドファウンディングで集めたいと考えております。それは取りも直さず、釜石に住む人だけなく、釜石にゆかりのある人や、釜石ラグビーを応援してくださる人へもこの情報を届けたいからです。

釜石を訪れた人がラグビーワールドカップの痕跡を感じるとともに、世界中のラグビーファンが必勝祈願に訪れる場所となるよう、この神社建立プロジェクトにどうぞお力を貸してください!皆様のご支援をよろしくお願いいたします。





<ご協力いただいた資金の使い道>

⌘ ラグビー神社の移送費用(東京→釜石)
⌘ 神社建立のための地面工事(鉄板を張り重石を乗せる、簡易式屋根の設置)
⌘ 神事にかかる費用

総額で約300万円のところ、半分は地元で集め、残り半分をこちらのクラウドファウンディングで調達したいと思っております。

実行者について

うのスタ・ラグビー神社建立プロジェクト

中田義仁(なかた・よしひと)
1968年 釜石生まれ
1986年 岩手県立釜石南高等学校(現・釜石高校)卒業
1991年 東北薬科大学(現・東北医科薬科大学)卒業
1996年- ㈲中田薬局入社
2010年 同 代表取締役社長就任
釜石シーウェイブス常任理事兼スポーツファーマシスト、ラグビーワールドカップ(RWC)2019釜石誘致推進会会長、RWC2019釜石開催支援連絡会副会長を歴任したRWC2019釜石開催の立役者の一人。
釜石東ロータリークラブでは小学生タグラグビー交流会を企画運営し、第3回の2019年開催では小田原市とオーストラリアの小学生を含め130人が参加した。シーウェイブスマスコットキャラクター「なかぴー」の親でもある。
今回のプロジェクトの発起人。

リターン一覧

¥3,000
サンクスレター
奉加帳にご芳名記載
49人が支援中
限定数:限定なし
お届け予定日:2020年5月頃
¥5,000
サンクスレター
奉加帳にご芳名記載
うのスタ・ラグビー神社グッズ(製作中)
88人が支援中
限定数:限定なし
お届け予定日:2020年5月頃
¥10,000
サンクスレター
奉加帳にご芳名記載
うのスタ・ラグビー神社グッズ(製作中)
スタジアムロゴ入りミニボール
87人が支援中
限定数:限定なし
お届け予定日:2020年5月頃
¥10,000
サンクスレター
奉加帳にご芳名記載
うのスタ・ラグビー神社グッズ(製作中)
小島製菓 ラグビーパイ
14人が支援中
限定数:限定なし
お届け予定日:2020年5月頃
¥30,000
サンクスレター
奉加帳にご芳名記載
うのスタ・ラグビー神社グッズ(製作中)
小島製菓 ラグビーパイ
浜千鳥 純米大吟醸(化粧箱付き)※特別ラベルで(株)浜千鳥から直送します。
うのスタご案内券(ロッカールームや芝生までご案内します。現地までは自費です。要事前連絡)
12人が支援中
限定数:限定なし
お届け予定日:2020年5月頃
¥30,000
サンクスレター
奉加帳にご芳名記載
うのスタ・ラグビー神社グッズ(製作中)
小島製菓ラグビーパイ
スタジアムブック
うのスタご案内券(ロッカールームや芝生までご案内します。現地までは自費です。要事前連絡)
3人が支援中
限定数:限定なし
お届け予定日:2020年5月頃
¥50,000
サンクスレター
奉加帳にご芳名記載
うのスタ・ラグビー神社グッズ(製作中)
小島製菓ラグビーパイ
スタジアムブック
スタジアムロゴ入りミニボール
浜千鳥 純米大吟醸(化粧箱付き)※特別ラベルで(株)浜千鳥から直送します。
うのスタご案内券(ロッカールームや芝生までご案内します。現地までは自費です。要事前連絡)
2人が支援中
限定数:限定なし
お届け予定日:2020年5月頃

プロジェクトが成立しました

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